物語メモ

「説明」と「物語」

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なぜ説明台詞はダメなのか

説明台詞とは、物語上の状況を、読者・観客に説明するかのようにキャラクターが喋る場合の台詞を指す。

キャラクターは通常(メタフィクションでない場合)その物語内世界で喋っているのに、突然、外部である読者や観客に分かりやすいように、つまり、物語の外部を意識したように喋りだすと、いわゆる「説明台詞」だと言われる。

説明台詞は良くないとよく言われる。それは何故なんだろうか。

もっとも素朴な考えは、「らしさ」の問題。

キャラクターがそのように喋ること自体に違和感がある、という考え方。それは、堅苦しいはずのキャラクターが突然砕けた喋り方をするのと同じ問題で、キャラクターの一貫性が壊れるから良くないのだ、という考え方。

また、世界観の問題としても考えられる。

現実とは別に存在しているはずの物語内世界のキャラクターが、その世界の外側であるこちら側(現実世界)を意識してしまうと、物語の世界が壊れてしまう。

キャラクターが説明台詞を喋ると、「これが作り物なのだ」という感覚を読者・観客に感じさせてしまうから、物語への没入が一気に白けてしまう。

物語という入れ物を壊してしまうので説明台詞は良くない、という考え方もあり得る。

「説明台詞」における、物語と現実の境界を壊す効果は、物語側の問題としてあるが、もうひとつ読者・観客側に生じる根本的な問題もあると思う。

それは、説明台詞の「退屈さ」だ。

説明台詞は退屈である。なにが退屈の原因かといえば、解釈する必要のなさだ。

なぜ解釈する必要のなさが、物語の中で退屈なのかと言えば、それは、そもそも物語を見る楽しさのひとつに、「解釈すること」があるからだと思う。

ある人物がいて、ある状況があって、何かが起こって、人物がなんらかの反応をする。

それを見て、「なるほどこう思ったのか」「こう感じたに違いない」「次にこうするだろう」「こういう気持ちだったのだろうか」などなど、あーなのかな、こーなのかな、きっとこうだ、という解釈の連続こそが、物語を見る楽しさの根っこにあるものなんじゃないか。

この考えが正しいとすれば、説明台詞が良くないのは当然と言える。そこには物語の楽しさがなく、それは単なる情報伝達、注意書きの看板や駅の乗換案内と何も変わらない言葉でしかないからだ。

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