物語メモ

観客を物語に惹きこむ3つの興味(参考:アニメ『約束のネバーランド』)

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アマゾンプライムビデオで配信中のアニメ『約束のネバーランド』を観た。

観客を物語に引きつける要素について思うところがあったので、まとめてみる。

漫画は未読で、あくまでアニメ版を参考に書く文章。

あらすじと世界観

ある孤児院が舞台で、ママと呼ばれる1人の大人と、ママと楽しく暮らす数十人の子供たちがいる。主人公は11歳の少女1人と少年2人。

孤児院の敷地は壁で覆われており、子供たちは外の世界を知らずに育つ。

孤児院にいられるのは最年長でも12歳までで、6〜12歳の子供がときどき孤児院から巣立っていく。

1話は、序盤から中盤で孤児院の幸せな生活を描き、ラストで壁の外の現実を主人公たちが悟る、という展開になっている。

実は、壁の外は人間ではない生命体に支配されており、孤児院はその生命体のための食肉工場だった。

巣立っていった子供たちは、巣立ったのではなく肉として出荷されていた、という事実が判明。また、優しいママはその生命体のために働く人間であり、子供たちを育て出荷する敵対者であることも分かる。

そこから、事実を知った主人公たちは脱走を企てる。ママも、子供たちの一部が孤児院の現実を知ったことを理解し、脱走を邪魔する。

主人公たちとママの攻防を軸としつつ、孤児院の秘密を順々に解き明かす形でストーリーが進む。

結果的に、シーズン1のラスト12話で主人公たちはママの意表をついて脱走に成功。

惹き込まれた→興味の正体は?

私は、このアニメにグッと惹き込まれて、ほぼ一気見した。

一気見するくらい面白かったのだが、このアニメを高く評価するかといえば、それは微妙。

私は基本的に物語の中の人間ドラマに注目しがちな観客。そういう目で見ると、このアニメのドラマはそれほど面白くはない。

というのも、ドラマの中心である主人公たちがまだ子供であり、考え方も単純(=純粋)で、驚きがないから(良くも悪くも「少年ジャンプ」的だと感じた。)

むしろ、個人的に最も面白く感じたのは敵対者であるママのドラマ。だがしかし、ママのドラマは終盤に断片的に明かされるのみでこのシーズンは終わった。

次のシーズンからドラマもグッと面白くなるのかもしれない、と期待させる終わり方ではあった。

そんな評価にも関わらず、私は一気見するぐらいこのアニメに惹き込まれていた。

「惹き込まれた」とは、「強い興味を持った」ということ。

「興味を持つ」とは「知りたいと強く感じること」だと言える。

しかし、前述したとおり私はドラマに興味を持ったわけではない。そこはそんなに驚きもなく、「もっと知りたい」という気持ちにはなれなかった。

では、自分は何に興味を持ったのだろう、と考えた。

興味には3種類ある

このアニメを見ていた時、私は3種類の興味を持っていたことに気付いた。

1.世界観への興味
2.主人公と敵の攻防に対する興味
3.人間ドラマへの興味

と書いても、いまいち分かりにくいので、この3種類に対応する日常の中の興味を考えてみた。

1.観光
2.スポーツ
3.コミュニケーション

こうすると、興味の種類が想像できるのではないかと思う。

「観光したい」「スポーツ(勝負)を見たい」「他人のことを知りたい」

これは一般的な人間の欲望。だからこそ、それぞれが産業として成り立っている。人がわざわざ新しい場所へ出かけたり、スポーツに熱中したり、他人と関わり続ける、という事実もそれを証明している(もちろん一般論として)。

物語の中で、観客が持つこの3つの欲望を上手く満たせば、観客は物語を見続けるのではないか。

欲望が満たされるなら、人はそれをやり続ける。つまり、物語がこの欲望を満たしてくれる限り、人はその物語に惹きつけられ、それを最後まで見続ける。

興味の構成はさまざま、受け取り方もさまざま

この3つの興味は、物語の中で均等に描かれている必要はなく、かつ、観客がそれをどう受け取るかも個人差があるはず。

例えば、現代日本が舞台のサスペンスであれば、世界観は観客の日常とほぼ同じであり、物語世界への興味はそれほど持てないだろう。少なくともこのアニメのような強い惹きにはならないはず。

しかし、キャラクターがしっかりと描かれ、事件の成り行きや、それぞれの葛藤がしっかり描かれていれば、2と3の興味によって、観客は十分物語に惹き込まれる。

このアニメで言えば、ぼくは「世界観」と「主人公たちの攻防」には惹き込まれたけれど、「人間ドラマ」はイマイチだった、という受け止め方をしている。

人間ドラマがイマイチだからといって、物語全体への興味を失うことはなく、ちゃんと最後まで興味を持ち続けられた。

また当然、「いやいや、人間ドラマも素晴らしかったよ」という人もいるだろうし、「陳腐な世界観だ」と感じた人もいるでしょう。

何に興味を持つのかは人それぞれなので、定量的にここを語るのは無理だと思う。あくまで概念的、構造的な話として、そういう見方ができるはず、という考察。

作り手と観客、そして観客同士の認識のズレにまで踏み込むと、話が無限にややこしくなるので、この話はここで終わり。

興味の量や正当性・妥当性の話は置いておいて、とにかく「3種類ある」というのがここでの考え。

「興味の構成」と「物語の構成」の関係

当たり前と言えば当たり前だけど、この3つの要素の配置は、並列関係ではなく、入れ子関係になっている。

まず世界があって、その世界の中で攻防が繰り広げられており、その攻防の主体としてキャラクターがいる。

観光 – スポーツ – コミュニケーション

これらをもっと抽象化して考えてみれば、

世界 – 出来事 – 人間

とすることができる。

物語には人間(少なくとも人格)が必要。観客は、人間を通して物語内の出来事や世界を体験していく。

世界がなければ出来事は起き得ないし、出来事がなければ人間はただの物。しかし同時に、人間がいなければどんな出来事も物理現象に過ぎないし、世界は単なる風景でしかない。

物語は、この3つが相互に依存しあって初めて成立する。

もう1つ物語に必要なものがある。それは時間。

時間を通して、世界 – 出来事 – 人間を見せていくのが物語。

観客に興味を持たせるためには、これらの上手い見せ方を考える必要がある。いわゆる演出(伝わり方のコントロール)というやつ。

観客にとって、この3つが持っている魅力(=知りたいと感じさせる力)は、それぞれ違う。

「世界」は、大き過ぎて全体が見えない、不変なもの。

「出来事」は、大体把握できる大きさで、結果が保留されているもの。

「人間」は、把握できると思える大きさで、不変なようで変化するもの。

これらはそれぞれ、ミステリー、サスペンス、ドラマに対応していると考えられる。

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